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日淺 聡士

【カンタンなプロフィール】

■理系四大学卒業(夏目漱石の「坊ちゃん」がOB)
■民間企業勤務(航空業界)
■協力隊&ITベンチャー
■「朝山家」の運営
■起業(PLD代表)
■NPO法人空き家サポートおおいた

→大分県の山奥の限界集落に夫婦で移住。
古民家をDIYとリノベーションで数年かけて再生。
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→好きな食べ物はうどんとおでん。
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【限界集落】「小宛焼」って激レア?豊後大野市緒方町の小宛焼窯跡〜大分歴史探検02〜

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#里山日記

こんにちは!朝山家の聡士(@HbHlUnRqYkjbRMQ)です。

今回は、大分県豊後大野市緒方町指定の史跡、

「小宛焼窯跡」に立ち寄ってみました。

場所はこちら!

所在地:〒879-6634 大分県豊後大野市緒方町寺原

私自身、魚釣りが好きでよく川付近のことを調べるのですが

googleMAPで釣りが出来そうなスポットを探していると、

歴史的な場所がたくさん見つかるので大分県ってとても面白いです。

 

調べてみると、「小宛焼」って文化的な価値が高いんですね!

なんと、大分県立美術館(OPAM)にも収蔵されているくらいの焼き物です。

引用:大分県立美術館(OPAM)作品詳細

骨董品やさんや古物商で発見したら、なんでも鑑定団に出演できそう。

写真「小宛焼」豊後岡藩窯



小宛焼窯跡とは?

小宛という緒方町の寺原区という地域ではるか昔に作られていた焼き物の窯(かま)の跡地です。

朝山家からだと車で17分のところにあります。

 

小宛焼(おあてやき)とは?

「小宛焼」は岡藩の生産方奉行と小宛組大庄屋によって始められた歴史があります。

文久3年(1863)より明治7年(1874)まで創業していたことが確認されているそう。

これまで工事等で、出土する遺物から寺原区に窯跡の所在が推定されています。

出土遺物の中には磁器のほか擂鉢(すりばち)・甕(かめ)・急須等の陶器や窯道具などがあり、

日用雑器も多くつくられていることがわかったそう。

所在地:緒方町寺原
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

参考:豊後大野市のHP「市指定史跡より」

聡士
聡士
2022年の今の年から計算するとなんと!148年も前のこと!

 

長崎の波佐見焼(はさみやき)と関係が深い?

「岡藩時代の雑記」によると、

 

・小宛組大庄屋と岡藩などが半官半民で出資したのが「小宛焼」

・小宛の磁気製品は19世紀後半に製作

長崎の「亀山焼大神甚五郎」が陶工(とうこう)※陶磁器を作る人。焼物師。

・長崎の五島から上薬石を取り寄せていた

・中国品を長崎から輸入してきていた

 

と書かれているようです。

写真:波佐見焼のお皿

中川政七商店の読みもの:波佐見焼とは?

 

最初は、陶器焼きの窯でその後、

 

大神甚五郎により芸術的な磁器焼きの窯になったのでは?

 

と推測されているようです。



なぜ小宛焼窯の跡地だとわかったのか?

昭和63年に小宛焼窯の跡の近くで、道路の拡張工事をしていました。

そこで工事をしていると、

多量の磁器と陶器のかけらや、窯道具が出土したため

陶磁器を焼いていた跡地だということが確認されたようです。

※参考写真

なぜ小宛焼窯は廃窯になってしまったのか?

明治7年に廃窯になった理由として、

有田焼、伊万里焼などの陶磁器市場に参入することができなかったからだそう。

聡士
聡士
なぜ参入できなかったのだろうか?残念!理由がわかり次第加筆します!

小宛焼の特徴

小宛焼の特徴は3つ!

  1. 乳白色の白磁の染付け
  2. 青みがかった灰色の染付け
  3. 白色のハケ目の上に青色の染付け

の3種類のタイプがあります。

主に、山水画が描かれているようです。

写真:小宛焼、染付山水図急須

小宛焼窯跡までの道のり

いざ朝山家から出発。

一度、国道502号線に出て、富士緒井路土地改良区の近くの脇道に入っていきます。

ちらほらと民家がある道を一本道!

途中で、三宮カイロプラクティックの看板があります。

さらに進むと、

どっこい小宛は頑張っている。長迫美心ステーション

と書いてあるリサイクル資源ゴミ収集所があります。

 

独特な言葉選び。田舎らしい文章のセンス。

小富士郵便局を通り過ぎ、

南林寺を通り過ぎ、

山道をどんどん進むと、小宛焼窯跡に到着です!

看板があるのみで、何もありませんでした。跡地だから当たり前か。



小宛焼窯跡付近を散策

せっかく立ち寄ったので、付近を散策してみました。

小宛焼窯跡の横には「鹿山神社」という神社があります。

石で作られた苔むした階段を上がって、

のぼりつき、鳥居をくぐると境内があります。

苔むした石塔と、鳥、虫の鳴き声などもあいまって、とても神秘的な雰囲気でした。

明治38年の秋9月に「後藤登三郎」とういう方が建主のようです。

小宛焼の価値が高い理由

作品自体が少ない

前文でも記述しましたが、小宛焼は長崎の「亀山焼」の陶工を招いて始まったとされ、

岡藩の御用窯として磁器や陶器を生産していました。

その創業期間、文久3年(1863)より明治7年(1874)まで。

作られていたのはわずか11年!

短い期間にしか作られていなかったため、現存する作品自体が少なく、貴重です。

小宛焼きはどこで見学できる?

ふれあい学びの杜(もり) 豊後大野市資料館に、

お皿とツボのような形のものが2つあるようです。

残存している「小宛焼」は、ほとんどが個人所有であることから、持っている方を探すしかないです。残念!

竹田市の「西光寺」の庭にもあるとの情報もあり、関備前焼風の少宛焼が残されているとのこと。

そんな貴重で価値のあるものを、いろんな人に

「小宛焼持ってます」とは言いふらさないですよね。笑

近くの古物のお店なんかに置いてないかな〜なんて妄想しながら「小宛焼」のお話しはここまで。

史跡をめぐる際には、その史跡の歴史や関連を調べてみると、

マニアックで、いつもと少し変わった視点で旅ができるかもしれません。

 

大分歴史探検第02弾、おわり。

 

【この記事の参考】

豊後大野市史跡についてのページ

大分の焼き物:大分市歴史資料館

(2022/07/15)


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