こんにちは!朝山家の聡士(@HbHlUnRqYkj?bRMQ)です。
大分県豊後大野市の緒方町の里山の集落から発信しています。
今回は、田舎の娯楽施設である映画館の話です。
私が住むまちには、町内おろか市内にも映画館はありません。
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筆者の場合は、Amazonプライムビデオかネットフリックで見るので
映画館に行かずとも映画は見ることができます。
しかし、大画面で良い音響で見る映画はスマホで見る映画よりも臨場感があって
たまに無性に観に行きたくなります。
そんな今私が住む町の映画館の歴史に少々お付き合いください。
緒方町に昔はあった尾平の映画館(大分県内で初だった)
地域の方(町のなんでも知ってる長老)にお話を聞くと、
どうやら昔は映画館が町にもあって賑わっていたと教えてくださいました。
話を聞くとどうやら町に2軒もあったらしい。今では想像が全くつきません。
今は閉山している尾平鉱山のエリア
写真:緒方町の文化財ー緒方町教育委員会ーより引用
映画館を作って良い法律は、興行場法に基づき都道府県知事の許可が必要となっている。 また、建築基準法による用途規制により、映画館は客席の面積が200平方メートル以上10000平方メートル未満である場合には近隣商業地域、商業地域、準工業地域でのみ設置できる。 200平方メートル未満であれば準住居地域でも設置できる。
と現在の法律で決まっているようです。
昔の法律から変わっていないのかな?
なぜ山の中の鉱山に映画館があったかというと、
そのエリアが鉱山で栄え、かつては不夜城と言われるほどの工業地域だったから。
当時(1935〜1954年)、三菱マテリアルが錫、亜鉛などを
採掘するために鉱山を開発し選りすぐりのエリートを派遣。
なんと、秘境である尾平地区で沢山の人が働いていたそう。
1950年にはなんと従業員が500人。その地域だけで人口が3000人も。
郵便局の貯蓄金額が西日本一位を誇る立派な地域になったそうです。
ダンスホールもあったんだとか。500年も続いた鉱山は1954年に閉山。
今は数件の民家と自然に飲み込まれた廃墟だけです。
写真:緒方町尾平地区の様子(2019年頃)
筆者は、尾平鉱山の付近の山の中の宿泊施設で3年間働いていたことがあり、
かつて存在したという場所を探してみたのですが、
詳細な場所は結局分からずじまいでした。
鉱山が閉山した年を基準にしたら約70年前くらいには存在したということですね。
※正確な場所やいつまで営業していのかなど
詳しいことがわかれば追記していきたいと思います。
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緒方町下自在に存在していた映画館「緒方会館」
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「緒方会館」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。開館年 : 1955年以後1958年以前閉館年 : 1958年以後1960年以前引用:日本の映画館の総合データベース「消えた映画館の記憶」
緒方町だけではなく、
豊後大野市内にかつてあった映画館についても調べてみると面白いかもしれませんね!
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新たにわかったことがあれば追記していく予定です。
(2023/05/26)
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