こんにちは!朝山家の聡士(@HbHlUnRqYkjbRMQ)です。
大分県豊後大野市の緒方町の里山の集落から発信しています。
今回は、私たち夫婦が縁もゆかりもない大分県に来て今に至るまでの話を思い出して
書き綴っておこうと思います。
私たち夫婦が豊後大野市緒方町にやってきたのは、
夢であった夫婦で宿をしたい!という思いが強かったから。
たまたま地域おこし協力隊として、
指定管理の施設を立ち上げるメンバーを募集しているという記事がきっかけ。
「経験もなく、いきなり宿を始めるのはリスクが高い」と思った筆者は、
宿の運営のことを学ぶためにこの田舎町にきました。
一番初めに移住してきての試練は、やはり住む場所でした。
県外からいきなり田舎に来たわけですが、賃貸物件はほぼなく
かといって何処の誰かわからない人に家を貸してくれる人も知り合いもなく。
自分で行動しなくてはどうにもならない環境にまず身を置いたことで
今まで自分が置かれていた環境がいかに恵まれていたかに気づきました。
そしてやっと借りることができた一軒家は、
少量の雨でも雨漏りしていたり、トイレのドアがなかったり。
キッチンの配管が壊れていて排水が逆流すると言った考えられない体験もしました。
しかも、キッチンの床が抜け落ちそうになって野外で自炊をすることになりました。
最も辛かったのは、冬なのにお風呂のガス給湯器が壊れていて
寒い中、疲れていても目が覚めるような水風呂に「ああ今日も生きてる」
と実感したのは今になっては笑い話です。
写真:最初に借りた古民家の天井
そんな不便な私たちの境遇を不憫に思って助けてくださったのは、
近所の美容院の方でした。
親身になってお話を聞いてくださったり、
時には夜ご飯を作って持ってきてくださったり。
田舎って素敵だなって思った一コマがたくさんです。
そして、たくさんの空き家や古民家を探す中で
今の「朝山家」がある古民家に辿りつきました。
持ち主の96歳のおばあちゃんは、
「大好きな旦那さんがお亡くなってから
大きな家で山の中で1人で寂しい思いをしながら家を守ってきた」
とお話ししたことを今でも鮮明に記憶に残っています。
写真:古民家から出てきた棟札
高齢になり、おばあちゃんも施設に入ってしまい、家で生活することが難しくなりました。
大好きな旦那さんと過ごした何十年も過ごした家を守ってほしいという思いが強かったようで
私たち夫婦が住むことを心から喜んでくださいました。
「最初は地域に馴染むためにも試しに賃貸で住んでくださいね」
という心遣いがとても思いやりを感じた言葉でした。
数年間空き家になった家は、やはりカビだらけになっていた部屋や
害獣の侵入、1人の力では運ぶことができないタンスや不用品などが残っていました。
少しづつ片付けていったのですが、やはりなんとも言えない気持ちになったことを覚えています。
片付けをしていく中で、おうちの持ち主のおばあちゃんの結婚当時の白黒写真が出てきた時は、
施設まで持っていって喜ばれ、その家の歴史を聞いたり集落での出来事など
驚くことばかりでした。
それから時間がたち、私たちもこの地域を気に入り古民家を購入させていただくことになりました。
正式に登記などが終わった日に、なんと白蛇の抜け殻が和室から出てきました。
スピリチュアルなことは全く信じない私たちでしたが、流石にこのタイミングに驚きました。
コツコツと、仕事の合間を縫ってDIYで修繕や改修作業を続け、
1年半があっという間に過ぎ、やっと完成した古民家の宿「朝山家」。
いざ、コロナウイルスの感染拡大も落ち着き、
旧持ち主のおばあちゃんを招こうと考えていたところ残念ながら亡くなってしまった連絡が。
亡くなる日に家が壊れる夢を見てハッと起きた日の出来事に虫の知らせって本当にあるのだなと
実感しました。作り話でもなんでもなく、朝起きて妻と夢の話をしていた時のことだったので
他人とは思えない何か不思議な縁を感じた出来事でした。
豊後大野市に移住しどれだけ人に助けられ、応援されたことか。
地域の方や関わってくださった方々に感謝感謝です。
こちらに来てからの経験は無駄になることは一つもなく、
今は現在では空き家をなんとかしたい方と
移住したいけど住む場所が見つからない方
のマッチングをお仕事としてさせていただいております。
また誰かの縁が繋がりますように!
(2022/10/17)
\あさやけ編集部はTwitterもやってます!/
【こちらの記事もあわせてどうぞ!】
カテゴリー